復興支援助成金

福島の子どもたちと
母親を守るために
FUKUSHIMAいのちの水

Focus38

当財団は、被災地の復旧・復興支援活動を行うNPOや社会福祉協議会などへの助成金制度を実施しています。助成先の一つ、「FUKUSHIMAいのちの水」の坪井永人代表理事に、活動を始めたきっかけやこれまでの活動内容、今後の抱負などについて聞きました。

東日本大震災の被災地・被災者への復興支援活動を開始した理由、きっかけを教えてください。

私は牧師として50年にわたり、弱者の援助活動を行ってきました。東京・小平市にある、日本初の女性アルコホリック施設の『スズランハウス』や、福島県郡山市にある、日本初の無宗教系ホスピスの『坪井病院ホスピス』などの建設に関わってきました。
2011年、東日本大震災に遭遇し、自らも被災者として3日目から国内外のキリスト教ボランティア団体に支援を求め、『災害支援援助隊アガペーCGN』を通じて、東北の救援活動を開始しました。
福島原発事故の実態が明らかになるにつれ、福島の災害は地震や津波に加えて放射能災害であり、特に乳幼児の被曝が深刻であることを知り、2011年5月に「FUKUSHIMAいのちの水」を設立。被曝を防ぐ一方策として、ミネラルウォーターの無料配給を開始しました。

これまでどんな活動をされてきたのですか。

「一人の子の命を救うために」というキャッチフレーズの下、飯館村への2万本を嚆矢とし、現在まで200万本(500ml、累計1000トン2014年3月予定)を無料配給。対象は、福島県在住の妊婦や乳幼児、高度汚染地域に住む推定10万人とされる12歳以下の児童です。乳幼児の放射能感受性は成人の5倍と言われ、特に乳幼児への配給を重視しました。併せて、月例のサロンを開き、専門医師による個人、グループカウンセリングを行い、バザーなどの催事で、母親の精神的安定に寄与してきました。また、避難所、仮設住宅でのモバイルカフェ、コンサートなど、被災者に直接ふれあうことを重視して活動を続けてきました。

ご苦労されたのはどんな点ですか。被災者の言葉など、印象に残っていることは?

2013年に入り、外部のボランティア団体が激減し、助成金の支援も極端に減少しました。県内で活動していた多くのNPOが撤退、解散を余儀なくされました。福島の現場では、母親たちが不安を話すことさえできず、自分だけで子どもたちを守ろうとしています。ある母親は、私たちのサイトにこんな言葉を書き込みました。「いのちの水をありがとうございます。今月は申し込みが遅くなり、頂くことができませんので、今月は自分で買って、姑にはいのちの水から頂いたと言って子どもに飲ませます」。また、ある方は、「雨樋を測ったら90マイクロシーベルトありました。新しい家を建てたばかりで、この庭で子どもと遊んで…、こんな夢をすべて壊されて、今のアパートに引っ越しました。この子のために、せめて奪われた以上の希望を取り戻さなければ…と思っています」と書き込んでいます。私たちは子どもが安全であるとわかるまで、これからも母親たちの味方をしていきます。

今後の活動予定や抱負を聞かせてください。自分たちの活動を通じて、被災地や被災者へ、どんな“希望”を与えたいとお考えですか。

2013年以降、救援物資としての水の寄贈は極端に減り、私たちは救援品を求める活動から、フードロスの食料品を受け取る方法に変換しました。その結果、多くの食料品と共に水の供給も可能となりました。現在の水の在庫は救援団体からの15トン、さらに2014年1月には300トンが提供される予定。これは2014年秋までの配給量です。これらの経験から、フードロスの受取団体へと変質することにより、長いスパンで支援を続けることが可能になると考えています。当然、水だけでなく、多くの食料品を配給しなければなりませんから、現在のNPOを基盤として、「もったいないから、ありがとうユニオン」(余剰生産物消費者組合Surplus production Consumers Union)を立ち上げ、フードロス食品の大きな受け皿をつくります。これは、福島県の15万人とも言われる仮設住宅居住者から始め、東北の被災地全体に活用できる方策であり、ひいては全国で展開できる可能性を秘めていると考えます。フードロス食品の活用により、被災者のエンゲル係数が下がり、児童の健康維持にかける費用を増やせることは、水の供給よりも現実的被曝対策となるでしょう。「奪われた以上の希望」にとどまらず、「奪われた以上の夢、失った以上の希望」を提供し続けていくため、このプロジェクトを遂行していきます。

『NPO法人FUKUSHIMAいのちの水』webサイトはこちら

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