復興支援助成金

阪神淡路大震災の経験・反省を活かす
ろっこう医療生活協同組合

Focus42

当財団は、被災地の復旧・復興支援活動を行うNPOや社会福祉協議会などへの助成金制度を実施しています。助成先の一つ、「ろっこう医療生活協同組合」の金丸正樹専務理事に、活動を始めたきっかけやこれまでの活動内容、今後の抱負などについて聞きました。

東日本大震災の被災地・被災者への復興活動を開始した理由、きっかけを教えてください。

きっかけは2つあります。ろっこう医療生活協同組合は、阪神・淡路大震災の経験を活かし、これまでも大災害が起こると現地で支援活動を実施してきました。豊岡の大雨災害や、新潟県中越沖地震でも職員を派遣しました。東日本大震災にもいち早く人を送りました。もう一つのきっかけは、ろっこう医療生活協同組合は3つのクリニックを経営していますが、そこで働く一人の医師が大船渡出身だったことです。その先生は大船渡市で夜間診療所を開業していて、平日は大船渡で診療し、週末に私たちのクリニックの応援に通っています。その先生の診療所が津波で流されてしまいました。そこで大船渡で医療支援を行いました。

これまでどんな活動をされてきたのですか。

震災4日後の2011年3月15日、先発隊が伊丹空港から福島空港へ飛び、郡山経由で福島市内の医療生活協同組合に薬を届けました。数日後、いわて花巻空港へ向かい、レンタカーで大船渡に入り支援を開始しました。
2011年は、看護師やリハビリ職などの専門職員と、運転担当の職員がペアを組み、避難所で血圧を測ったり医療相談を行いました。半年ほど継続し、冬場は中断しましたが、2012年3月に活動を再開。大船渡の方を神戸に招待し、震災の状況と被災地の現状を伝える報告会を開催しました。報告会と同時にフォークデュオの紙ふうせんのコンサートも行い、たくさんの方が参加しました。
2年目は仮設住宅を回り、被災者の安否確認と共に、健康状態をお聞きする支援を行いました。また3月には、神戸の医療生協職員と地域組合員の有志で、神戸名物の『いかなごのくぎ煮』をつくり、仮設住宅の方々に配り好評でした。この活動を「いかなご届け隊」と命名しました。2014年3月にも神戸から人々を派遣する予定です。
2013年は、8月に仮設住宅回りを開始し、9月と11月に健康相談やセーフティ・ウォーキング講習会を実施しました。参加者には神戸から持参した手づくりの小物をプレゼントしました。
初めは多数の仮設住宅で支援してきましたが、現在は12ヵ所に集中して活動しています。繰り返し同じ仮設住宅に通うと、顔見知りの方もできて人間関係が築け、一過性ではなく長い支援のきっかけになります。ある80代の女性は水彩画を趣味にしていて、三陸の海の風景や大船渡の仮設住宅などの絵を描いています。その絵を神戸の人たちにも見せたいと思い、神戸市内のギャラリーで個展を開催しました。来館者に感想やコメントを書いて頂き、女性にお伝えし喜ばれました。人と人のつながりが生まれ、良かったと思います。被災地の方と文通している職員もいます。
ボランティア参加者は、職場で募集しています。基本は4泊5日。毎回、出発式をして快く送り出しています。帰った後には小規模ながら報告会を開き、活動の理解を深めています。
活動資金は、クリニックでの募金と法人からの支援、助成金。最初の募金では、300万円が集まりました。阪神・淡路大震災を経験していますので、被災地の様子に共感する方も少なくありません。二重窓でないと寒いとか、電気毛布は仮設住宅では使いづらいといった具体的な意見も出てきます。他人事ではないという思いが強いのでしょう。

ご苦労されたのはどんな点ですか。被災者の言葉など、印象に残っていることは?

私たちの活動が、被災地のニーズにあっているか不安を感じることも。基本的に仮設住宅で傾聴を行い、一歩踏み込んだメニューとして体操とか歩行指導などを行っていますが、被災者が何を欲しているのか自問自答しています。
現地の行政の活動に横やりを入れたり、水を差すような活動にならないよう気を付けています。大船渡市の担当の方とは連絡を取り合い、現地に入ったときにはまず出向き、活動計画を説明し了解をもらっています。支援員さんとのコミュニケーションもとれていると思います。

今後の活動予定や抱負を聞かせてください。自分たちの活動を通じて、被災地や被災者へ、どんな“希望”を与えたいとお考えですか。

「早く、深く、永く」がモットー。「早く」はいち早く被災地に入ること、「深く」はうわべだけでなく相手を知って顔の見える支援を行うこと、「永く」は活動を長期的に継続していくことです。
2014年度は、医学部の学生等など若手の派遣にさらに力を入れたいと思っています。若い人に現実を見てもらい、仕事に活かしてもらいたいと思います。阪神・淡路大震災後に生まれた人も多くなり、記憶が風化している現実は否めません。東北の被災地はまだ進行形ですから、若手に支援の体験の場を提供していきたいと思います。
“復興”というよりも“復旧”して欲しいと思います。神戸では未だに、高齢者が復興住宅で自殺することがあります。身寄りがなく、先が見えないことで不安にかられてのことです。元の生活ができず、元の地域の人間関係を失ったことで孤独感を増幅させ、追い詰められるのでしょう。
神戸での経験・反省を活かし、できるだけ元の暮らしを取り戻し、一人一人の生活が尊重された暮らしができることを期待しています。

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